Castle record

小金城

(こがねじょう)別称:大谷口城・開花城

Castle information

小金城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
千葉県松戸市大谷口
史跡指定
指定情報の記載なし
現在の状態
大谷口歴史公園・宅地など
主な遺構
土塁
主な見どころ
大谷口歴史公園/金杉口の復元冠木門/障子堀
訪城写真
8枚掲載
大谷口歴史公園
大谷口歴史公園

城の歴史

天文6年(1537年)9月、千葉氏の家老・原氏重臣の高城胤吉によって築かれた。
陪臣ながら下総千葉氏第24代当主・千葉昌胤に重用されていた高城胤吉は、妻には昌胤の妹を迎えており、小金城の落成時には昌胤自ら祝賀のために訪城し、胤吉に自筆の書を送る程親密だった。
天文7年(1538年)小弓公方・足利義明が北条氏討伐の兵を挙げたため、胤吉は千葉昌胤とともに古河公方・足利晴氏の命を奉じて北条方として参戦、小弓公方・足利義明が討死し北条方の勝利となった。
この第1次国府台合戦の勝利により下総での北条氏の影響力が増し、下総の諸将は次第に他国衆として北条氏の傘下に取り込まれていった。
永禄3年(1560年)越後の長尾景虎(後の上杉謙信)が北条氏康討伐のため関東へ侵攻、上野の長野業正らの支援を受け、名胡桃城・沼田城・白井城・厩橋城など、次々と北条方の城を攻略した。
景虎は関東諸将に北条討伐の檄文を発しており、景虎の攻勢を目の当たりにした関東諸将も景虎の下へと参陣した。
胤吉・胤辰親子も北条家から離反したが、景虎が越後へ引き揚げると北条家に復帰が許された。
小金城は景虎に古河御所を追われた古河公方・足利義氏の仮御所とするため、北条氏に接収され大規模な城郭の整備が行われたが、永禄5年(1562年)佐貫城に仮御所を置く事となったため、高城氏が小金城主に復帰した。
永禄9年(1566年)2月、下総に上杉謙信の軍が攻め寄せ小金城は包囲されたが先の城郭の大整備の甲斐もあって籠城の末、撤退させた。
天正18年(1590年)関白・豊臣秀吉による小田原征伐の際は、城主・高城胤則が小田原城の籠城に参陣したため、高城氏重臣の安蒜備前守が居城の深井城を放棄し小金城に籠城した。
豊臣軍の圧倒的な軍事力を前に、胤則は小田原より小金城に密使を送り城の明け渡しを命じたため、豊臣方の浅野長政軍に降伏・開城した。
徳川家康の関東入府後、一時期、家康の五男・松平信吉が下総小金城3万石を与えられ入城したが、文禄2年(1593年)に下総国佐倉城10万石に加増転封となり小金城は廃城となった。

大谷口歴史公園
大谷口歴史公園
金杉口の復元冠木門
金杉口の復元冠木門
障子堀
障子堀
金杉口を登った郭の土塁
金杉口を登った郭の土塁
郭内から見た土塁
郭内から見た土塁
畝堀
畝堀
上から見た畝堀
上から見た畝堀
金杉口の腰郭
金杉口の腰郭