城の歴史
平安時代末期から鎌倉時代に道智頼基の子・光基を祖とする多賀谷氏が築いた居館であった。
多賀谷氏は武蔵国埼玉郡騎西庄多賀谷郷の地頭として武蔵七党野与党に属し、源頼朝上洛の髄兵や御弓始の射手として活躍したという。
宝徳3年(1451年)享徳の乱の功積が認められ古河公方・足利成氏より下妻三十三郷を与えられた多賀谷氏家は、康正元年(1455年)から大宝沼の岸に下妻城の築城を開始した。
寛正2年(1461年)下妻城が完成すると居城としたため、館は廃された。
(たがやしやかた)
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

平安時代末期から鎌倉時代に道智頼基の子・光基を祖とする多賀谷氏が築いた居館であった。
多賀谷氏は武蔵国埼玉郡騎西庄多賀谷郷の地頭として武蔵七党野与党に属し、源頼朝上洛の髄兵や御弓始の射手として活躍したという。
宝徳3年(1451年)享徳の乱の功積が認められ古河公方・足利成氏より下妻三十三郷を与えられた多賀谷氏家は、康正元年(1455年)から大宝沼の岸に下妻城の築城を開始した。
寛正2年(1461年)下妻城が完成すると居城としたため、館は廃された。