城の歴史
築城時期は不明だが、元々は忍城主・成田長泰の指揮下にあった砦で、成田家臣・羽生豊前守が在城していたと伝わる。
弘治2年(1556年)羽生領五万八千石を領した木戸忠朝が兄・広田直繁と古城を改修し居城とした。
永禄3年(1560年)越後の長尾景虎(上杉謙信)が北条氏討伐のため関東に侵攻してくると広田・木戸兄弟は景虎の臣下となり、翌年の小田原攻めに参陣した。
永禄12年(1569年)上杉輝虎(謙信)と北条氏政が和解し同盟を締結、羽生城の広田直繁を館林城主として上野国に移した。
天正3年(1575年)北条氏政の命を受けた成田氏長の軍勢に攻められ、家臣・荒川一学・須景小源次などが奮戦するも落城、城主・木戸忠朝は切腹して果てたという。
羽生城は成田氏の支配となり、守将に氏長弟・成田長親、副将に桜井隼人介が配された。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、羽生城は廃され城兵は成田氏の本城・忍城に篭城した。
戦後、徳川家康が関東に入封し、羽生城主に大久保忠隣を配したが、忠隣は家臣として召し出した木戸旧臣・鷺坂道可を城代として置き、自身は江戸に居て指示をした。
慶長19年(1614年)大久保忠隣は改易となったため羽生城は廃城となった。






